『ヒトに好かれるにはどーしたらイイの?』
よく、どーしたらモテるのかとかそんなハナシを聴かれる、まあ一応俺は世間の認識からしたらモテる部類になるのかも知れないが俺自身はなんでそんなにモテたいの?と思ってしまう。
自分の意中のヒトから好意を持たれるのであればそれはとても幸いな事であるが自分がなんとも思っていないヒト達からしつこくされてごらん、そりゃあ辟易しちゃうぜよ。
いちいち断るのも角が立つので受けて上げてもその行為のなんとも無味乾燥な事か!
特に俺は自分がヤリたくないことに関してはチョーヤリたくないのでマジで死にたくなるくらいツラい。
モテたければ相手に依存させればカンタンな事であるが俺は面倒くさくてイヤだ。
依存させるっていうのはムズカシイように感じるが別段そんな事はなくて、相手に自分を必要とさせればイイだけの事。
わかりやすい例えでいえばセックスの時は相手が必要不可欠なのでその相手になってあげるだけでカンタンに依存は成立してしまうことが多い。
それが例え大したセックスではなかったとしても相手にとってナニがしかの利益のようなモノがあればイイのだ。
風俗嬢でよく聴くヒモのヒト達はそこんとこを絶妙に押さえている。
一見傍から見れば冴えないダメ男な場合が多いが嬢からしてみれば代えがたい存在になっているモノである。
アッシーくんは中々その状況から抜けられないのは相手にアッシーくんなんだって強く認識されてしまうからだ。
ヒトはイメージでヒトを判断しがちなので間違った認識に陥らないように注意する必要がある。
相手の認識する自分を想像してみよう、決して自分よがりな想像ではイケない、非常にシビアに中立的に想像する必要がある。
ここで卑屈になる必要もない、あくまで中立的に公正に想像することが大事。
それにはスタンダードはなにか?本当に中立的とはどーいったもんかを深く見つめ直さねばならない。
自分勝手な解釈を捨て共感的な目を養うのが大事。
事実は一つなれど解釈は生きてる人間の数だけある、これはある意味事実をちゃんと観ていないということであって知らないうちに独りよがりな判断に至ってしまう。
こんなことではモテたいなんて言ってても始まらないし、モテるという事がどんなことなのかという理解には到底及べるべくもない。
会った瞬間に大体は決まってしまうこのモテるという現象に対応スルためには常に新しき目を持たなければならない。
時代は常に動いているワケで昨日モテたからといってイヤ、さっきモテたからと言って今もモテるとは限らないのだ。
外見とかそんなつまらない事でモテると言うことは決まらない。
もちろん外見からのイメージというのも大きなものではあるがソレだけでモテてるわけではないのだ。
特に女性は男性をあまり外見だけで判断していないようで、カッコよかった若い頃よりも年齢を経てモテるようになったハナシはよく聴く。
男性諸君からみても外見だけの女性を伴侶にしたいとは中々思わないだろう、ソレはオカズとしてはイイけれどメインにスルには物足りないものだ。
実際人間はモノではないから物理的な接触以外の事が多々あるものだ、だからちゃんと話ができて安心できるヒトを選ぶモノだ。
前に中村淳彦というライターに超単体のAV女優とド企画の女優二人が俺の側にいた時があってそれぞれ交流していた、俺がド企画の方への熱いアプローチをしていたのを「おかしい!」と言っていたがソレはモノをわかっていない証拠だ。
そりゃあ外見は超単体の子にド企画の子がかなうハズはない、けれどヒトを好きになるのにそんなものは価値判断に値しない。
好きなものは好きなのだ。
ヒトをモノのように錯覚してしまうことは多くの人間にはある事だがそんな事では物事の本質には近づけない。
物事の本質を追求してイクならばミラクルに思えるような事だって可能だ、それはミラクルに見えるだけで本当はミラクルでもなんでもなくただ本質を押さえていたがために起こった必然なのである。
物事の本質において言えば、たかが人間相手にモテるかどうかなんてのはカンタンな事であるのだw