『言葉のギャップ』
多様化している現代に於いて同じ日本語同士といえど様々なズレがある。
例えばSEXの最中に言葉責めというプレイがあるがこれが又ムズカシイ、得意としていると言う御仁は多いが果たしてそれがどこまで本当に通用かつ有効に効いているかは定かではない。
俺も言葉での誘導はよくやっていたがこれがどこまで有効なのかを何度も考察した。
言葉とは単に言葉であるのでそこに至る過程をよくよく考えて用いないとおかしなことになる。
相手の仕事の都合や優しさで合わせて貰っているようでは言葉責めが得意だなんて言えたもんじゃない。
それぞれの育った環境においても用いられる言葉の意味は様々であり、言葉を発している本人の独自の思考とは別に存在する事実や状況にどこまでフレキシブルに出来るかが問題。
発する本人はただ発していてるだけでそれを受けてる側に本意がどこまで通じているかは微妙で
、自分の発してる言葉に沿って自分の行動を決定していくのは非常に愚かであるといえる。
よく俺は言うが自分と相手がいて初めて成立するワケだからして自分よりむしろ相手の方が重要になる。
俺は日本人以外ともカラダを合わせてきた。
その場合言葉はあまり役に立たない、ていうかコミュニケーションツールとしては用をなさない。
しかも育った環境も劇的に違い、常識やナニからナニまで違う。
フランス人モデルのイブとつきあっていた時はイブがフランス語オンリー、俺は日本語オンリーで言葉によるコミュニケーションはゼロに等しかったが彼女とのデートで何一つ困った事はなかった。
つきあいを他人づてにイブから申し込まれた時、通訳出来る女性に間に入ってもらい俺は言葉のギャップを言って断ろうとしてがイブは「なんの問題もない。私はアサオの事が好きだからアサオの事しか考えない、だから大丈夫」と通訳されてつきあう事になった。
なるほど俺はその時思った。相手を慮る事が素直にできれば言葉なんて合図くらいの意味しかないんだと。
その頃からハメ撮りなどをスル仕事の時にワザと喋らないでみたりした、すると面白い事に俺がウンともスンとも言わずに黙々と撮影を続けるので相手は自意識が働き勝手にサービス過剰な行動を取ったりした。
その場合俺が一言発しただけで相手に取っては天の救いとばかりにその言葉に食いついてきた
、なんでもベラベラしゃべるのが良いワケじゃない。
的確な言葉を発する為には状況をちゃんと把握しておく必要があり、これさえ出来るならば空間は自由自在になるだろう。
押し引きの妙とは、相手がソレに付き合ってくれて初めて成立する。
つきあってもらえるよう、又はついつきあってしまってるような状況を作り出すためにも正しくコミュニケーションを取らねばならず、ただ一方的にしゃべるのが言葉責めなんかじゃない。
出来るならば相手のハナシを良く聴き相手を知る必要があり、その結果自分と相手との距離や状況を正しく把握してこその言葉である。
言葉は単なる言葉であり、意味は一応共通認識があるけれど文脈において意味は千変万化する。
そして現代人は文脈をムシする傾向が強く、巷の週刊誌などの言葉狩りを見てれば解る。
ましてやSEXの最中に的確な言葉を相手に提供するのは至難のワザであってカンタンに言葉責めが得意なんて言ってるとバカにされる。
もし今まで言葉責めが通用してると思っているならば過去の場面を思い返してみたらイイ、通用してたと思っていたのだから思い返してみてもそうそう思い当たりはしないだろうけど注意深く、慢心せず謙虚に構えてフンドシを締め直す方がイイ。
自分なんて一番信用ならないモンだ、すぐ自分を甘やかし自分に都合のイイように変換されてしまい脳の情報として残る。
独りよがりではSEXは成立しないし、勃てば官軍なんて事はない。
そんなSEXを繰り返していてはやがてムナシクなってくる時が来るかもしれない、うまく逃げ切ってそうした思い込みで一生を終えたとしてもそれは本当にソレでイイのか?ハダカの王様よろシコ、バカを晒してイキていくのは俺には耐えられない。
態度は謙虚にチンポはズーズーしくイコうw