ヒトの腰フリみて我が腰フリ直せw
現代ではAVとか他人のSEXをカンタンに見ることが出来る時代である、他人と自分を比べたりが容易になりとても便利な世の中になった。
他と比べようがなかった時代には自分の中だけで考えるしかなく当然主観的に陥りやすい状態だった。
モチロンSEXは自分ひとりでシテいるワケではないのでそもそも主観的になること自体がオカシイのではあるが特に男は射精がフィニッシュになるのが当たり前なので自己完結である自慰行為に準じてしまいがちなのである。
オナニーが悪いワケでは決してなく、ただSEXとオナニーは違うという事だ。
大抵の事はところ変われば品変わるということで、適材適所の法則に則っている。
そのままでイイ事が状況が変わればソレに適さなくなることはままあることで、例えばクルマの運転一つとっても一人で乗ってるぶんには事故ろうが自己責任で済むが同乗者がいたり
共同危険行為をする場合は運転に対する色んなものが変わってくるのだ。
共同危険行為は暴走族ではないヒトにはよくわかりづらいかもしれないけれど、目立たなくてならず自ずと普段なら考えられない運転が求められる
ソレは通常の運転とは異なりかなり異なものになる、そーした状況に適した行動を取れるかどうかは大きくそのヒトの存在に関わってくる事なのだ。
暴走族の集会で通常運転してたらまったく目立つこと適わず、一般ピーポーと同じになってしまい頭角を現すことはムズカシくなってしまう。
1月の23日から「今夜は大丈夫!?」っていうネットTVを始めた、ゲストに華のあるお三方をお呼びして放送した、ヒトに観てもらうモノである以上客観的な視点は必須で、どうしたら面白いモノになるかをちゃんと検証して取り組む必要があり、第一回は大好評だったようでそこそこ成功したと言える。
そーいうモノを観てどーしたらそーなるのか?コミュニケーションのヒントが転がっていると思うのでぜひチェックして欲しい。
SEXであろうが会話であろうがコミュニケーションさえ出来ればなんとかなるのである。
よく自分はコミュ障だからとか言ってるヒトを見かけるが、ソレが病気であろうがなんだろうがそのままではソレは単なる言い訳をしているだけで、じゃあどうするのか?って事を考えなければいつまで経っても進歩はない。
立ち止まるな振り向くなあなた!って事だ。
まあ振り向くというか自分を省みることは大切で、なんでも猪突妄信ってのは困る。
相手のいる場合は特にそうであり、成立しなくなってしまう。
自分が仕掛けた事で相手になんらかの反応が起こる、逆に相手にされた事で自分の中になんらかの反応が起きる。
そうした反応をただ観るのである。
ただ観るというのが大事なように俺の経験から思うのだがそこに否定も肯定も挟まずにただ起こった反応だけを観ているとソレがなんなのか、ソレはどういった意味を持っているのかが見えてくる。
ソレは事実というヤツで一つしかない確かなモノなのだ。
モチロンその事実を確かに確かめられればのハナシではあるが。
しかし限りなく否定も肯定もなく見れていればそれは当たり前のことになり、だってそーなんだもんの境地に達することが出来るようになるw
事実は事実として認識した上でアレコレあがいてイクのが人間であり面白いのである。
事実だからといって俺は受け入れろなんて言わないw
むしろすべての事柄は受け入れちゃダメだと俺は思う、すべて受け止めるのである。
これは似て非なるモノで微妙な違いではあるがそれの効果は絶大である、モチロンすべて俺の経験からの事であるので多少は個人差はあるかもだけど人間そんなに変わらない、ちょっとした工夫をして自分なりにモデュファイしてみればイイ、自分なりにの部分でまずは正確に自分を把握していなければソレはソレとして適わず、第一に自分を正確に把握することが大事である。
スタートラインがないというのは問題で、先の韓国のレーダー照射問題で日本の哨戒機の低空飛行の証拠写真が発表されたが海面が写っていないので低空なのか高空であるのかわからないw
比較すべきモノがないというのはとても感情的な範疇で、ここは理性的な部分を用いるべきである。
自分を知るためにもそこは理性的に観るべきであります。
己を知り敵を知れば百戦なんとかと言うでしょう、そうでなければ百戦ジレンマwなんて事にもなりかねません、では又~♪